エドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen)まとめ!経歴・使用楽器・プレイスタイルなど
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エドワード・ヴァン・ヘイレンと言えば、言わずもがな!
アメリカ発の超有名ハードロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリストです。
卓越した演奏技術の中でも彼の代名詞的な「ライトハンド奏法」で奏でる独特なサウンドは、後に続くギタリストたちに大きな影響を与えました。
経歴
エドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen)は1955年1月26日、オランダのナイメーヘンに生まれました。愛称はエディ。
父はクラリネット奏者で、自身や兄も幼少時からヴァイオリンやピアノを演奏していました。
1967年にアメリカ・カリフォルニア州に移住。
テレビで見たビートルズ本人達が主演の映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』を見て影響を受け楽器を始めます。
当初は兄のアレックスがギター、エディはドラムでしたが、エディがドラムセット購入の借金を返すために新聞配達をしている間、兄が勝手にドラムを叩き上達してしまったためにお互いの楽器を交換することにした、というエピソードが知られています。
その後兄弟でバンドを結成、オリジナルメンバーのデイヴィッド・リー・ロス、マイケル・アンソニーを迎えたところでバンド名を「VAN HALEN(ヴァン・ヘイレン)」と改めました。
1978年、キンクスのカバー曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」でデビュー。
続いてリリースしたアルバム『VAN HALEN(邦題『炎の導火線』)』も瞬く間にヒット、これ以降、快進撃を始めます。
1983年、エディはマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」にギタリストとして参加、マイケルのツアーにも一部出演しました。
Van Halen – Jump
しかし、ボーカリストの脱退やエディの癌、腰の手術などでバンドは休止状態になってしまいます。
エディが回復しても、メンバー間の不仲によってバンドは解散状態が続きました。
2006年、新ベーシストとしてエディの息子ウルフギャングが加入。
2007年、エディは体調が思わしくなくリハビリ施設に入所したことを発表。
2011年に舌癌が再発、2012年には一部切除手術や大腸憩室炎の緊急手術をしました。
2013年には15年ぶりの来日公演を行いました。
このときは写真撮影やビデオ撮影が許可されていたので、様子はYouTubeなどで見ることができますよ。
楽器とプレイスタイル
楽器
エドワード・ヴァン・ヘイレンの楽器といえば、まず挙げられるのが「フランケンシュタイン」!
200ドルで手に入れたという未塗装のブギーボディ製でフェンダーライセンスのストラトキャスターのボディとネックに、ギブソンのES-335のPAFを巻き直してロウで固めてから直接ボディにマウントしたり、フロイド・ローズのトレモロユニットを搭載したりと何度も改造を重ねた楽器です。ハムバッカーはポールピースを弦に合わせて斜めに傾け、直接ボディにねじ止めしてあります。
はじめはバイク用の塗料を使って白黒だったボディには、後から赤色の塗装も加わりました。
エディはこの楽器をボロボロになるまで愛用し数々の名曲を生み出した後、別の楽器に換えました。
スミソニアン博物館にはこのフランケンシュタインのレプリカが収められています。
1980年代になるとクレイマーと契約を交わし、フランケンシュタインを基にしたシグネチャーモデルを演奏しました。
1990年代にはミュージックマンと契約、「Musicman EVH」を発表しました。
瞬時に6弦を1音下げることができる「Dチューナー」を搭載したモデルです。
またこれまでにない丸い形はもちろんのこと、ボディに直接つけられた2つのハムバッカーなどは当時珍しい仕様でした。
フランケンシュタインを正確に採寸し、ネックグリップの左右非対称な形状や使用頻度が高いために薄くなった部分も再現しました。
契約が終了した現在はAXISと名前が変わっています。
Van Halen – “Dance The Night Away” (Official Music Video)
続いて契約をピーヴィーに変えて息子と同じ名前をつけた「Peavey EVH Wolfgang」を制作。
Dチューナーの装備は変わらず、カーブドトップのものや3S仕様が登場するなどバリエーションが豊富になりました。
ピーヴィーとはシグネイチャー・アンプ(5150)でも契約を交わし、エディはしばらくの間この2つの組み合わせで演奏していました。
現在はフェンダーとコラボしたブランド「EVHギターズ」を設立。
EVHブランドからシグネイチャーモデルのギターとアンプが出ています。
以前はマーシャルを愛用していたエディですが、現在はEVHのシグネイチャーアンプ「EVH5150III」を使用いています。
またシグネイチャーモデルのエフェクターが、MXRから「EVH90 Van halen Phase 90」と「Flanger EVH-117」が、ジム・ダンロップから「Eddie Van Halen Signature Wah」がリリースされています。
プレイスタイル
ピアノなど他の楽器もできるエディですが、生活の一部だと言い、弾いている時が最も幸せだと語るほど、ギターは彼の一部。
もちろん練習は人一倍どころではありません。
楽器やアンプの改造だけじゃない、目指してきた「ブラウン・サウンド」を奏でるために必須なのはもちろん、彼が体得した高度な演奏技術です。
無駄のないフィンガリング、特に弦の芯をとらえたピッキングは一見簡単そうですが実際そう易々とは真似できません。
その上でエディの代名詞「ライトハンド奏法」や「タッピングハーモニクス」をはじめとする難しい演奏を余裕の表情でしてのけるのがエドワード・ヴァン・ヘイレンなのです。
Van Halen – Panama
ライトハンド奏法
左手と共に右手でも素早く弦を押さえたり弾いたりすることで音を出す「ライトハンド奏法」、初めて行ったのはエディではありませんが、広く世間が知ることとなったのは彼の演奏によるところが大きかったに違いありません。
映像で見るよりも先に音楽だけを耳にすることが多かった当時、このサウンドは斬新で、ギターの音色だとは思わず、キーボードの演奏だと思ったリスナーも多かったとか。
ライトハンド奏法以外にも、エディが広めた演奏方法は数多くあります。
バリエーションが多いのも特徴で、タッピングハーモニクスや鳥の鳴き声のような音色のハミングバード奏法など随所で聴くことができます。
代表作品
炎の導火線(1974年)
原題は「Van Halen」、ヴァン・ヘイレンの記念すべきデビュー・アルバムです。
ほとんど一発録りという一枚ですが、多くの楽曲でエドワード・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法を聴くことができますよ。
A Different Kind of Truth(2012年)
新ベーシストにエディの長男、ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンを迎えた作品。
全米ロックアルバム&ハードロックアルバム1位を獲得するなどヒット作品となりました。
親の影響というよりも「自然の成り行き」で音楽活動をするようになったと語るウルフギャングは、担当のベース以外にも父同様にキーボードやドラムなどもできるマルチなミュージシャンです。
もちろん、エディのプレイもファンのみならず他のミュージシャンから絶賛されています。