リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)まとめ!経歴・使用楽器・代表作品など
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ディープ・パープルやレインボーのメンバーとして有名なリッチー・ブラックモアをご紹介します!
ハード・ロック演奏にストラトを使い、ギターを破壊するなどの現在も継承されているいわゆる「ギターヒーロー」のイメージを作り上げましたが、実は下積み時代は地味だったとか。
一体どんな人物なのでしょうか?
経歴
リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)は1945年4月14日、イギリス サマセット州ウェストン・スーパー・メア生まれの、ミドルセックス州ヘストンで育ちです。
11歳の誕生に父からプレゼントされたスパニッシュ・ギターを手に、クラシック・ギターのレッスンを受けたのが始まりです。
このレッスンがフレットを抑える指の使い方やその後の音楽性にも生きているとのこと。
エレキギターは14歳の時に初めて手に入れ、近所に住んでいたビッグ・ジム・サリバンに師事しました。
学校卒業後、はじめのうちはヒースロー空港の技師として働きつつも、音楽の道を諦めることもできず、その傍らで練習やバンド活動にも励んでいました。
しかし、そういった中途半端な状態にも見切りをつけてドイツに渡る決心をします。
そこで出会ったのがスクリーミング・ロード・サッチでした。
彼は自身のバンドにリッチーを加入させましたが、ミュージシャンとして以上にショーマンとして影響を与えました。
それまで実力にしては地味だったリッチーにメイクをさせ、ステージでは大きなアクションをするように指示したのです。
それから後もセッション・ミュージシャンを務めるなど着々と実績を積み重ねました。
時にジェフ・ベックやジミー・ペイジともセッションしています。
Deep Purple – Speed King ft. Ian Gillan
1967年、クリス・カーティス発案で新しいバンドを結成すべく、メンバー探しを始めます。
リッチーはギタリストとして加入要請を受けました。
ラウンド・アバウトというバンド名に決まったものの、その後のメンバー選考には難航。
選考と入れ替えを繰り返しながら体制が整った1968年にバンド名を「ディープ・パープル」と改め、デビューしました。
以来、リッチーは1975年6月まで在籍。
1984年の再結成を主導しましたが、音楽的な方向性の違いやイアン・ギランとの不仲などを理由に1993年には再び脱退しました。
その間に多くのヒット作を生み出しています。
「ハイウェイ・スター」や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などは今でもCMなどで耳にする機会が多いですね。
Deep Purple – Highway Star
特に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」には逸話があります。
スイス・ジェネバ湖のカジノで行われていたフランク・ザッパとマザーズのコンサート中に観客の撃った銃で火災が発生、それをほとりのホテルから見ていたメンバーが発した「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という言葉からイメージが膨らんで作られたというもので、これぞロック!といえるほど、リッチーの書いたリフは印象的。
ジャンルの垣根を越えて多くのギタリストに影響を与えています。
「ロック史上最も有名なイントロを持つ」とも言われますが、ディープ・パープルを知らなくてもこの曲は知っているという人はたくさんいますよね。
Deep Purple – Smoke On The Water (Live)
2016年4月、ディープ・パープルはロックの殿堂を正式に受賞しましたが、リッチー・ブラックモアは授賞式に現れませんでした。
一方、ディープ・パープルを脱退した1975年からレインボーを結成。
こちらはブルースを基調にしたハードロックにバロック音楽の構成を取り入れつつ、時代に合わせてコンセプトを変えて活動。
リッチーは「メンバーの一員」と称していましたが、リッチー以外のメンバーはその都度入れ替わりがあり、バンド名も「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」からスタートしたように、周囲からはリッチー・ブラックモアを中心としたソロ・プロジェクトと捉えられました。
ディープ・パープル再結成を受けて1984年に活動を休止、その後1994年から3年間活動した後に再び活動を停止しました。
2015年にライブ公演を明言し、2016年ヨーロッパで3回のライブ公演をしました。
今後の活動は世間の様子次第のようです。
1997年からはフォーク・ロック・プロジェクトの「ブラックモアズ・ナイト」もスタートしました。
こちらでは妻キャンディス・ナイトとリッチーを中心にルネッサンス期のフォークソングやイングランド、ドイツなどのヨーロッパ、トルコなどの中近東、日本の和音階など幅広い分野の音楽を取り入れてオリジナル曲やカバー曲などを演奏しています。
楽器とプレイスタイル
ギター
初期のディープ・パープル時代はギブソンES-335を使っていましたが、ハード・ロック路線を明確に示してからはラージヘッド仕様のフェンダー・ストラトキャスターを使用しています。
年式などにこだわりはありませんが、ピックアップのワイアリングを換えたり、指板をえぐったりと改造を施していました。
活動初期はトレモロアームを交換して使っていましたが、再結成した84年以降はほとんど使用していません。これは、アームを使うプレイヤーが多くなってきたのを意識してやめたとのこと。
ピックは人の爪に近い音を出すという鼈甲のホームベース型の物を長年使っています。本人は野球嫌いのためホームベースと言わずに「五角形」と呼んでいるそうです。
Deep Purple – Burn
アンプは当初マーシャルの200Wアンプ、レインボーの再結成以降はENGLのハイゲインアンプを気に入って使っています。
エフェクターは1969年から71年頃までDallas Arbiterのファズフェイス、1970年頃から73年頃までHornby Skewes のトレブル・ブースター、また1973年頃からはアイワのオープンリール・テープデッキTP-1011を改造してエコーマシンとして使用。
また1977年からはMOOGのタウラス・ペダル・シンセサイザーを使用しています。
シグネイチャーモデル
いくつかのシグネイチャーモデルがありますが、2009年にはフェンダー・メキシコから「Ritchie Blackmore Stratocaster」が登場しました。
リッチーのものと同じように指板を削ってあるスキャロップド・フィンガーボードはもちろん、ラージヘッドやビンテージ風の細いフレットも特徴です。
ピックアップはセイモアダンカンのクオーターパウンドSSL4ですがセンターピックアップはダミーです。黒い色がオリンピックホワイトのボディによく映えます。
ENGLからはアンプヘッド「RITCHIE BLACKMORE SIGNATURE E650」がシグネイチャーモデルとして発売されました。
プレイスタイル
ブルース・ロックが全盛だった1970年代のロックにクラシック音楽的なフレーズやコード進行を取り入れました。
このことが以降のハード・ロック界に大きく影響しています。
ステージでの即興演奏が得意で、ギター・ソロ部分が10分以上になることも。
速弾きは他のギタリストを凌ぐ腕前です。
最後にギターを破壊したりする派手なパフォーマンスも有名です。
ハードロックを演奏するときはフェンダー・ストラトキャスターを演奏。
ブラックモアズ・ナイトではアコースティックギターを演奏することが多いです。
代表作品
Machine Head(1987年)
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ハイウェイ・スター」などを収録。
「ハイウェイ・スター」でのリッチーの速弾きが圧巻ですよ。
その後のライブでもこのアルバムの曲を必ず演奏するようになった、ディープ・パープルの代表中の代表作品。
Burn(1987年)
邦題『紫の炎』の本作は、ディープ・パープル8作目のアルバム。
デイヴィッド・カヴァーデール(vo)、グレン・ヒューズ(b,vo)を迎えて初めての作品で、この作品以降をディープ・パープルの第三期と呼ぶようになりました。
タイトル曲になった1曲目の「Burn」は2009年のタマホームのCMでも替え歌にして使われました。
Long Live Rock’N’Roll(1988年)
邦題『バビロンの城門』、レインボーの3作目。
大作主義を脱却し、アメリカ市場でのブレイクを意識したアルバム。
ベーシストがジミー・ベインからマーク・クラーク、さらにボブ・デイズリーへと次々と変わり、空席だった時期もあるため、内4曲でリッチー・ブラックモアのベース・プレイが残っています。
Difficult To Cure(1990年)
邦題は『アイ・サレンダー』、レインボー5作目のアルバム。
シングルカットされた1曲目の「I Surrender」はアメリカでトップ10ヒット、アルバムも大ヒットとなりました。
タイトルのDifficult To Cure(邦題「治療不可」)はベートーベンの交響曲第9番、歓喜の歌をアレンジした作品です。
Shadow Of The Moon(1997年)
ブラックモアズ・ナイトの1作目のアルバム。
バンド自体がイギリス中世の音楽を現代風にアレンジするというスタイルで、レインボーとは全く違うため驚いたファンは大勢いたようですが、日本でも10万枚近く売れました。