ジ・エッジ(The Edge)まとめ!経歴・使用楽器・代表作品など
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アイルランド発の世界的ロックバンド、U2。
結成以来変わらないメンバーで活動し、奇跡のロック・バンドとも言われています。
政治や宗教、人権問題など様々な社会問題を取り上げて歌うだけではなく、具体的な活動にも携わる姿は、結成から30年以上経った現在でも人々を惹きつけ続けています。
今回はそんなU2のギタリストであるジ・エッジを紹介します!
経歴
ジ・エッジ(The Edge)は1961年8月8日、イギリス・ロンドンに生まれ、アイルランド・ダブリンで育ちました。
本名はデヴィッド・ヒューウェル・エヴァンス(David Howell Evans)。
「ジ・エッジ」は鼻の形など顔が角張っているからつけたステージネームです。
1976年にラリー・マレン・ジュニアが高校の掲示板に出したバンドメンバー募集の張り紙を見て集まったポール・ヒューソン(ボノ)とアダム・クレイトン、ジ・エッジとその兄ディックという5人で活動を開始。
「U2」というバンド名はディックが脱退した1978年に決まりました。
3曲入りのアイルランド国内限定アルバムを発売、精力的な活動で人気を獲得し、1980年にシングル「アナザー・デイ」でメジャーデビューしました。
U2 – Pride (In The Name Of Love)
1983年、母国アイルランドの宗教対立に対する非暴力主義などをアピールした3rdアルバム『WAR(闘)』を発表。
アイルランド共和軍を批判する曲「ブラディ・サンデー」も収録され、共和軍支持者から脅迫されることにもなりましたが、全英ヒットチャート1位を記録するなど、結果的に多くの支持を集めることになりました。
翌1984年にはエチオピア飢餓救済を目的としたバンド・エイドに参加、さらに広島・長崎の原爆被爆者による絵画からタイトルをつけた、4thアルバム『焔』(The Unforgettable Fire)をリリース。
以来、宗教紛争や反核、薬物依存などをテーマにメッセージ性の強い楽曲を発表。
世界的に「U2」の名を轟かせると同時に、社会的な問題を題材にするスタイルや活動を確立していきます。
2011年には東日本大震災の被災者支援のためのコンピレーション・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』に「ウォーク・オン」を提供しました。
U2 – With Or Without You
ライブ活動でもそのスタイルは変わらず、1997年のツアーはボスニア紛争停戦合意後のサラエヴォで開催し、入場料収入を全額戦争孤児支援基金へ寄付したりしました。
一方で独創的なセットや観客動員数、規模、収益などが毎回話題となるバンドであり、アメリカの雑誌『スピン』で「世界で最も良いライヴを行う25バンド」の第1位に選ばれています。
U2以外の音楽活動も1983年のミニ・アルバム『Snake Charmer』をはじめ、ロン・ウッドのアルバム制作へギタリストとして参加するなどしています。
2010年にはボノと共にミュージカル『スパイダーマン』の音楽を担当しました。
楽器とプレイスタイル
ギター
エッジといえば、様々な楽器や機材を使用することで有名です。
その中でも初めて購入したギターは1976年製のギブソン・エクスプローラー(ナチュラル)です。
見た目に惚れ込んで18歳のときに購入したもので、弾き心地や音も気に入っているそう。
エッジを象徴するギターです。
2本目に購入したギターは1973年製のフェンダー・ストラトキャスター メイプル・ネック (ブラック)で、ピックガードとピックアップカバーがブラックのものに交換されています。
U2 – Sunday Bloody Sunday
その他、映像やインタビューを通して確認されたもので、ギターだけでも50本以上の使用が認められています。
2016年にはフェンダーUSAから、エッジのシグネイチャーモデル・ストラトキャスター「The Edge Strat」が発売されました。
アンプ
1964年製 ヴォックス AC30TB グレー・パネル をメインに使用しています。
エフェクター
時代によって移り変わっていますが、ディレイだけでもエレクトロハーモニクス・Deluxe Memory Man、TCエレクトロニック・TC2290、コルグ・SDD-3000、AMS Digital Delayなどを使っています。
U2 – Where The Streets Have No Name
プレイスタイル
多種多様なエフェクターを使用していますが、ディレイを駆使した空間的な演奏こそがエッジの持ち味です。
カッティング、アルペジオ、ハーモニクス、単音のメロディなどにコルグ・SDD-3000などのディレイとヴォックス・AC30を組み合わせた独創的なサウンドはまさにU2の代名詞です。
それまでなかった付点8分のディレイを使ったパーカッシブなプレイは特にエッジらしく、真似をするプレイヤーが続出。
90年代の日本のロックシーンにもディレイの使い方に影響を受けたと考えられるバンドが多数登場しました。
U2 – City Of Blinding Lights
ボーカルのボノは、エッジはスケールの練習などよりもアンプやエフェクターをいじる方に時を費やしているが、エッジのエフェクターが「尋常じゃないサウンド」を作り出している、錬金術的な要素があると話しています。
エフェクターを駆使した音作りに取り組んでいますが、他にもHerdimのピックを横向きにし、滑り止めの部分でピッキングすることも独特のサウンドに影響しているといわれています。
代表作品
Boy(1980年)
初のアルバム作品です。
この作品アメリカでも注目され始め、国外進出への足掛かりとなりました。
まだ将来の作品で見せる鋭さはなく、少年から大人への過渡期の切迫感や戸惑いのこもる歌詞が魅力的。
ボーカルのボノが亡き母へ捧げた曲として有名な「I Will Follow」は、現在でもライブで頻繁に演奏されています。
WAR(闘)(1983年)
3枚目のアルバム。
1972年に北アイルランド紛争中に起きた血の日曜日事件をテーマに書かれた「Sunday Bloody Sunday」、ポーランドの「連帯」がイメージの「New Year’s Day」など名曲が収録されています。
社会や政治的な問題に積極的に関わるロックバンドというU2のイメージが決定的となった名盤です。
焔(1984年)
同じタイトルの広島・長崎の被爆者達が描いた絵画に感銘を受け、アルバムタイトルにしたという4枚目。
収録曲「プライド」はマーティン・ルーサー・キング牧師へ捧げた曲で、ライブの定番です。
ヨシュア・トゥリー(1987年)
ブルース、やカントリー、R&B、ゴスペルなど、アメリカのルーツ・ミュージックを吸収して、それまでにない骨太になった大ヒット作。
1988年にはグラミー賞の最優秀アルバム賞及び最優秀ロック・グループ賞を獲得しました。
アメリカ議会図書館が毎年公表するNational Recording Registry(将来に渡って保存すべき録音資料)の2013年分の登録作品の一つにもなりました。
アクトン・ベイビー(1991年)
「1990年代型U2」を宣言し、それまでのゴリゴリのロックから打ち込みを駆使したダンスビートへと大胆にシフトチェンジ。
従来のファンには物議を醸しつつ、新たなファンも獲得、多くのミュージシャンからの評価も得ました。
ZOOROPA(1993年)
前作と同じ路線ながら、実験的な色がさらに強い作品。
オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド(2000年)
21世紀を前にさらに新たな方向性を示した作品。
原点回帰ともなるシンプルで肯定的な大人のロックを聴かせ、ファンや評論家には高評価となりました。
原子爆弾解体新書(2004年)
11枚目のアルバム。
アップル社の「iPod」のCMソングに起用された疾走感のある「Vertigo」をはじめ、聞きどころはたっぷり。
アルバム制作中にサンプルCDが盗まれ、ネット流出が心配されるという騒ぎも起きました。