フランク・ザッパ(Frank Zappa)まとめ!経歴・使用楽器・代表作品など
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観客の大便を食べた(!)というデマがまことしやかに広がったりとエキセントリックな部分ばかりクローズアップされるフランク・ザッパ。
でも、実際の彼は亡くなるまで真摯に音楽に向き合っていた真面目な人物でした。
52年の生涯で60枚以上のオリジナルアルバムを発表した作曲家でありギタリストで、没後も未発表曲が続々とリリースされ続けているんですよ。
経歴
フランク・ヴィンセント・ザッパ(Frank Vincent Zappa)は1940年12月21日、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア生まれ。
長い間「フランク」は愛称で、自分の名前を「フランシス」だと思い込んで嫌っていたそうですが、「フランク」が本名です。
ギターを始めたのは17歳、12歳でドラム、19歳から作曲家デビューと多才。
音楽を学校などで正式に学んだことはありませんが、独学でかなりの読譜力を身に着けたと言われています。
ただ、作曲に関しては理論よりも経験則によるものが多かったようです。
手元に何か楽器を用意することもなく、五線紙と筆記用具だけで空港での空き時間にも作曲をしていたというエピソードもあるほどの作曲魔でした。
1964年、ザ・ソウル・ジャイアンツに加入。
1966年、バンド名をザ・マザーズ・オブ・インヴェンションに変え、アルバム『フリーク・アウト!』でデビューしました。
Frank Zappa – Inca Roads (A Token Of His Extreme)
1969年、『ホット・ラッツ』を発表後に最初の解散、新メンバーを加えて再結成。
1971年、ライブ中に観客がフレア・ガンを発射したことによる火災でマザーズは機材をすべて焼失。
ついでロンドンの公演中、聴衆の中の1人がザッパをステージから突き落とし、全身に複雑骨折の重傷を負ってしまい、2度目の解散。
その後はソロ名義で作品を発表することになりました。
1984年、「ライブでやれることはやりつくした」とツアーからの引退を表明。
1986年以降は自身の作品のデジタル・リマスタリングに着手しました。
反権力で自由を信条に、検閲反対や言論の自由を訴えつづけた人物です。
政治や社会、宗教等についても独特な物言いをし、歌詞にも政治批判や習俗、スキャンダルなどを盛り込んでいます。
政治家やアーティストをこきおろしたり茶化したりといったこともよくあり、エキセントリックなイメージはこのあたりから。
Frank Zappa – Deathless Horsie – 10/13/1978 – Capitol Theatre (Official)
しかし実際は音楽や作品に対してとても真摯な人だったようです。
たとえば、古い作品をCD化する際には全ての作品のリミックスやリマスタリングなどを自ら行っていました。
海賊版には非常に批判的で、評価が高いといわれた海賊版に対して同じタイトルでリマスターを施し、同じジャケットデザインで発売しました。
1993年12月4日、前立腺癌のため死去。
享年52歳。
没後の再発CDはフランク・ザッパがなくなる直前に数あるマスターから最終的なOKを選んだ「承認マスター」が使用されています。
また、ザッパ家が管理するフランク・ザッパの膨大な作品の中から、未発表曲が新作として発表されています。
楽器とプレイスタイル
楽器
ギブソン・SGスタンダードがメイン。
ほかに、ジミ・ヘンドリックスが1968年のマイアミ・ポップ・フェスティバルで燃やしたフェンダー・ストラトキャスターを所有しています。
ジミヘンといえば度々ステージでギターを燃やすという派手なパフォーマンスをしていたこと有名ですが、これもその一つで、ザッパは折られていたネックや輸送中に破損したパーツを交換し音が鳴るよう修理したものの、焼け焦げた跡はそのままに残っています。
プレイスタイル
現代音楽とブラック・ミュージックをルーツに、ロックやレゲエ、ディスコ、オペラなどジャンルを超えた多彩な音楽を取り入れた「ミクスチャー」な作風で作曲。
複雑なリズムや独特のハーモニー、分厚いコーラスなどにギター・ソロの豊かな即興が特徴的です。
時代によって音楽性が変化しますが、過去のレパートリーをアレンジを練り直して晩年のツアーでも演奏したりしていました。
代表作品
Freak Out!(1966年)
マザーズ・オブ・インヴェンションのデビューアルバム。
ロック・ミュージックの中でも初期のコンセプト・アルバムの1つに数えられることが多く、またビートルズにも影響を与えました。
発売当初はあまり大きく成功したとはいえませんでしたが、カルト的な人気を得て生産中止になった1972年ころまで少なからず売れ続け、1999年のグラミー賞で殿堂入りしました。
Absolutely Free(1967年)
新メンバーを迎えて作られた2作目のアルバム。
現代音楽とロックが融合した楽曲に、社会を皮肉ったユーモアのある歌詞が乗っています。