ニール・ヤング(Neil Young)まとめ!経歴・プレイスタイルなど
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70歳を超え、40年以上演奏活動を続けている大御所でありながら栄光に胡坐をかかず、常に新しい音楽を模索し挑戦し続けている現役パフォーマー、ニール・ヤング。
同世代から若手のミュージシャンまで交流も幅広く、パール・ジャムのエディ・ヴェダーやニルヴァーナのカート・コバーンも大きな影響を受けたと公言していてるんですよ。
現代のトップギタリストの一人、ニール・ヤングをご紹介します!
経歴
ニール・ヤング(Neil Percival Young)は1945年11月12日生まれ。
カナダ トロントの出身です。
1967年~69年の間はバッファロー・スプリングフィールドで活動しました。
1969年にソロデビュー。
並行して、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)にも参加しました。
(1969年から1年間と、再結成後の1977年以降)
ソロではクレイジーホースをバックバンドに従えることがよくあります。
時にサポートメンバーを入れ替え、ハードなロックだけではなくフォークやテクノ、ロカビリーなど常に新しいジャンルや形態を取り入れ、多様なアプローチを模索し続けています。
その一つ、1979年にクレイジーホースと制作したアルバム『Rust Never Sleeps』では大音量のフィードバックサウンドを多用した豪快なサウンドを聴くことができます。
90年代に世界的なブームとなるグランジの片鱗が垣間見え、後にニールのことを「Godfather Of Grange(グランジの祖父)」と呼ぶきっかけになりました。
Neil Young – Rockin’ In The Free World
他のミュージシャンとの交流は世代を問わずに幅広く、ニール自身はロックの殿堂の授賞式で4組のプレゼンターを務め、彼のトリビュートアルバム「The Bridge」制作には多くの若手アーティストが参加しました。
27歳で亡くなったニルヴァーナのカート・コバーンもニールの影響を受けた一人でしたが、カートの遺書にはニールの歌「My, My, Hey Hey」の一部「It’s better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」が引用されており、ニールはひどく胸を痛めたそうです。
Neil Young – A Man Needs A Maid/Heart Of Gold Suite (Live At Massey Hall-1971)
音楽活動の傍ら、積極的に障害者支援を行っています。
自身がてんかん発作を患っていることや、彼の子どもが障害児であることが理由の一つです。
毎年夫婦でチャリティー・コンサート「ブリッジ・スクール・ベネフィット・コンサート」を開催、顔の広さを活かしてボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクルやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ノラ・ジョーンズなどなど、数多くのミュージシャンを招いています。
また、経営難の農家を支援するためのチャリティーコンサート「ファーム・エイド」にも創設以来長く参加しています。
楽器とプレイスタイル
ギター
トレードマークになっているのは、通称「OLD BLACK」と呼ばれるギブソン・レスポール。
もともとゴールドトップで、トラピーズ仕様だった53年製のレスポールを黒に塗り直し、ビグスビーブリッジに変更したものです。
同じく53年製でビグスビーブリッジに取り換えたゴールドトップや、ビグスビーアーム付きのグレッジ・ホワイトファルコンなども使用。
ニール・ヤングのエレキギターにはビグスビーアームは欠かせません。
アコースティックギターはマーチンのD45、D28、D18などを所有しています。
ライブ演奏用にピックアップやエンドジャックが取り付けられているものがほとんどです。
機材
アンプは59年製のFender Tweed Deluxe、60年製のMagnatone 280-Aなどを、エフェクターはMXR CARBON COPY ANALOG DELAY M-169や、Fender Reverb Unit、Alesis Microverbなどを使用。
周辺機材にも工夫を凝らし、音色を表現しています。
また1978年のツアーからニール自身が考案した「WHIZZER」と呼ばれているアンプコントローラーを導入しました。
これはアンプのツマミのセッティングを何通りか記憶させることができ、足元のフットスイッチでエフェクターと一括で操作できるようになっています。
Neil Young – Sleeps With Angels
プレイスタイル
ギタリスト、シンガーソングライター、パフォーマーと多才です。
鼻にかかったような、弱々しい印象を与えるハイトーンボイスが特徴的。
ギタープレイはテクニックよりも歌声が引き立つような音作りに重点を置いています。
ミュージシャンとしての長いキャリアに拘ることなく、作品ごとに常に違う新しいアプローチを模索する姿勢が支持されています。
代表作品
Everybody Knows This Is Nowhere(1969年)
ソロ2作目で、クレイジーホースとは初共演作。
収録されている「Sinnamon Girl」「Down By The River」「Cowgirl In The Sand」 などは、現在でもメインレパートリーとなっています。
この3曲はニールが39度の熱を出しながら書いたとか。
After The Goldrush(1970年)
ソロ3作目。
タイトルにもなっている「After The Goldrush」など2曲は、映画のシナリオにインスピレーションを受けて書いたもの。
ほかにもピアノの弾き語りや、アコギの音をふんだんに取り入れたカントリーロック調の曲を多く収録。
Harvest(1972年)
前作と方向性が近く、全体的にカントリー調の仕上げ、シンプルさに磨きがかかっています。
のどかな雰囲気や手作り感が漂っていますが、ニールが牧場を購入し、そこで過ごしてもたらされたインスピレーションによるものと言われています。
このアルバムと収録されたシングル「孤独の旅路」は全米No.1を獲得しました。