ブライアン・メイ(Brian May)まとめ!使用ギター・プレイスタイルなど
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ドンドンチャ ドンドンチャ
ウィーウィル ウィーウィル ロック・ユー!
思わず走り出したくなるこの曲は、70年代イギリスで隆盛を極めたロックバンド・クイーンの代表曲「ウィ・ウィル・ロック・ユー(We will rock you)」
発表から40年以上経ちますが、今もドラマやCMで度々使われていますよね。
クイーンを知らなくても歌は知っているという人もたくさんいるはず。
今回はこの曲の作詞作曲を手掛けたクイーンのギタリストで天文学者、ブライアン・メイを紹介します!
経歴
ブライアン・メイ(Brian May)は1947年7月19日生まれ、イギリスのミドルセックス州出身です。
父が音楽好きで、7歳でアコースティックギターを手にする前はウクレレを弾いていました。
このギターに自分でピックアップを作って父親と取り付け、エレキギターに改造して練習したそうです。
ギターだけではなく学問においても秀でており、世界の難関大学の一つと言われるインペリアル・カレッジ・ロンドンに入学。大学院では宇宙工学を研究しています。
加えて、バンド・クイーンの活動が本格化し研究を中断するまでは中学校の講師も勤めていました。
ロックバンド「クイーン」はブライアンが22歳の頃にロジャー・テイラーと共に在籍した「スマイル」を基にメンバーの入れ替えを繰り返しながら徐々に出来上がりました。
クイーンによって一般化したという「ギターオーケストレーション」と重厚な「コーラス」、メンバー全員が作曲でき、かつ作風が違うため楽曲のバリエーションが豊かなことが魅力のバンドです。
Queen – Bicycle Race (Official Video)
1973年、アルバム『戦慄の王女』でデビュー。
このアルバムは制作したものの発売まで時間がかってしまい、イギリスメディアからは「時代遅れ」と酷評されました。
しかし人気そのものは反比例的に見る間に上昇、世界中で人気となります。
以降ヒット作を出し続け、世界で最も英国チャートにランクインし続けたアーティストにギネス認定もされました。
1983年頃から、メンバーは各自ソロ活動を活発化。
ブライアン・メイも、本格化したのは1991年にボーカルのフレディ・マーキュリーが亡くなってからですが、エドワード・ヴァン・ヘイレンとの共演「スター・フリート・プロジェクト」をはじめ、ミュージシャンとのセッションに参加しています。
1987年には日本のアーティスト、本田美奈子の「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS」を作詞・作曲・プロデュースしました。
Queen – Bohemian Rhapsody (Live In Budapest, 1986)
また中断から35年経って研究を再開、カナリア諸島の天文台で論文を書き上げ、母校にて天体物理学で博士号を取得しました。
一方で残ったメンバーのクイーン名義での活動も継続。
ポール・ロジャースと組んでの「クイーン+ポール・ロジャース」など、ボーカリストを迎えて共演もしています。
2012年のロンドンオリンピックの閉会式にも、スペシャルゲストとして出演しました。
楽器とプレイスタイル
楽器
ブライアン・メイのギターは彼が16歳の頃に父親と作ったもの。
「レッド・スペシャル」と名付けられたこの楽器は、ネックとボディに取り壊し前の友人の家の暖炉に使われていた木材のオークとマホガニー、ネックのフレットマークに古い真珠のボタン、トレモロにはオートバイのバルブ・スプリングと古いナイフのエッジを用いました。
見た目はソリッドギターですが、大きなザグリが設けられたホロー構造で、フィードバック奏法をしやすく設計してあります。
完成までに5年以上かかったそうです。
改良を重ね、今でも大切に使っています。
メンバーのジョン・ディーコンが作った「ディーキーアンプ」と組み合わせると、ヴァイオリンなど数種類の楽器のような音色を出せました。
これを使って多重録音をすると、シンセサイザーの音のように聞こえたため、初期のアルバムには「No Synthesizers」という注意書きが入っていました。
プレイスタイル
ピックを使わず、代わりに6ペンスコインやオーストラリア5セントコインを使用しています。
滑らかな音を出すときには斜めに、ハードなプレイではコインの側面のギザギザした部分を使うというような使い分けで、多彩な音色を作り出しています。
この音色を再現したエフェクターが発売されたことがありますが、一部の曲しか再現できませんでした。
代表作品
シアー・ハート・アタック(1974年)
3枚目のアルバム。
初のアメリカツアーも行いました。
このアルバムからジョン・ディーコンの作った曲も収録されはじめました。
バラエティに富んだアルバム。
オペラ座の夜(1975年)
「ボヘミアン・ラプソディ」が収録された4作目。
シングルカットされて作られたPVは、それまであった演奏シーンをメインにしたものではなく、映像エフェクトを駆使したもので、世界で初めてプロモーションを目的としたビデオとされています。
初の全英1位を獲得し、批判的だったメディアも高評価をつけた作品。
ザ・ゲーム(1980年)
8作目。アメリカでは最大のヒット作品です。
「地獄への道づれ」はアメリカで「ファンク」や「ソウル」などのブラックミュージックでも上位にランクインしました。
パワーバラードの「セイヴ・ミー」やロカビリー調の「愛という名の欲望」など、多彩な楽曲を収録。
このアルバムから録音にシンセサイザーが導入されました。