ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)まとめ!経歴・使用ギター・代表作品など
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「史上最高のロックギタリスト」ジミ・ヘンドリックス。
世界で活躍する多くのギタリストが少なからず影響を受けている、天才ギタリストです。
派手なパフォーマンスでも有名な彼ですが、実は活動期間はわずか4年、公式アルバムも4枚しかないって知っていましたか?
今聞いても少しも古びることなくかっこいい、ロック界に革命的なプレイと楽曲をもたらしたジミヘンについてまとめます!
経歴
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)は1942年11月27日にワシントン州シアトルで生まれました。
父が陸軍で第二次世界大戦に出征していた間に生まれており、母の出奔や母の姉夫婦に育てられるといった紆余曲折を経て、終戦後に父との二人暮らしをはじめました。
その頃、母につけられたジョニー・アレン・ヘンドリックス(Johnny Allen Hendrix)からジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix)に改名しています。
幼少時の家庭環境はあまり恵まれていたとは言えませんでしたが、父方の祖母の住むインディアン居留地に預けられていた頃の経験や聞かされた昔話は、その後の音楽作りに大きく影響しているそうです。
ギターに興味を持ったのは15歳の頃。
父がアパートの家主の息子から古いアコースティックギターを5ドルで譲り受けてジミに与えました。
後にエレキギターも入手し、少年時代からアマチュア・バンドでも経験を積んでいます。
ブルースやロックをはじめ、アニメのBGMなどもコピーしていたほどで練習には熱心だったそう。
The Jimi Hendrix Experience – Purple Haze (Live at the Atlanta Pop Festival)
19歳の頃、自転車の窃盗で逮捕されたときは、投獄を回避する代わりに陸軍に志願しました。
入隊中も軍内のクラブハウスで演奏していました。
演奏仲間には後にバンド・オブ・ジプシーズを組むことになるベーシストのビリー・コックスもいました。
1年後の除隊は訓練中のケガが原因と言われていますが、実はギターと薬物に興味を示して隊の規律を乱したためという記録や、早く音楽活動に移りたかったジミがわざと問題行動を起こしていたためと言われたりもしています。
除隊後は、従軍中に本格的に始めたエレキギターで演奏活動を開始しました。
バックミュージシャンとしてスタートしましたが、衣装やパフォーマンスが派手で目立っていたため、リトル・リチャード他多くのミュージシャンから煙たがられることになりました。
1966年、チャス・チャンドラーに見いだされ、渡英。
この頃はバンド「ブルーフレームズ」を率いていましたが、チャンドラーはジミ1人だけをスカウトしました。
チャンドラーは3人ほどが同時演奏しているように聞こえるジミのプレイに驚き、渡英したらエリック・クラプトンに会わせてもらえるかと聞いたジミに、「演奏を聴けばクラプトンの方から会いに来るよ」と答えたというエピソードがあるほどです。
1か月後、オーディションで選ばれたノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラム)と共にロンドンでザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成、12月にシングル「「Hey Joe / Stone Free」」でデビューしました。
活動開始に際して、「James(Jimmy)」という名前を「Jimi」に変えました。
The Jimi Hendrix Experience – Foxey Lady (Miami Pop 1968)
エクスペリエンスは69年まで活動。
ビッグバンド形態の「ジプシー・サンズ&レインボウズ」、次にビリー・コックス(ベース)やバディ・マイルス(ドラムス)と3人編成の「バンド・オブ・ジプシーズ」を組んで、それぞれ短期間ですが70年初頭まで活動。
ジプシーズ解散後はミッチ・ミッチェルとビリー・コックスをバックにコンサートを開くなどしました。
1970年9月18日、27歳で急逝。
ロンドン滞在中で、死因には同室した通報者の言動が不審で謎が多いとされてきました。
現在では睡眠薬と酒を併用し、睡眠中に嘔吐し窒息したと考えられています。
「27クラブ」(27歳で亡くなった有名ミュージシャン達)の一人にも数えられています。
1970年8月までに4枚のアルバムを発表、パフォーマンスが派手なだけではなく、高い表現力と卓越した演奏技術で多くのミュージシャンに影響を与えました。
3大ギタリストに数えられているエリック・クラプトンは「ジェフ・ベックと2人がかりでもジミにはかなわない」といい、ジェフ・ベックも「好調時のジミを超えるギタリストはいない」と語っています。
他にもポール・マッカートニーやレス・ポール、マイルス・デイヴィスなど音楽界の様々な人々がジミ・ヘンドリックスの才能を絶賛しています。
楽器とプレイスタイル
エレキギター
主にフェンダーのストラトキャスターを使用。
他にもギブソンSGやレスポールなど様々なメーカーのギターを演奏しています。
当時、ストラトキャスターは使用するミュージシャンがほとんどいませんでした。
しかしジミ・ヘンドリックスが使用したことで人気が急上昇、特に死後にはエリック・クラプトンやジェフ・ベック他、ロックやブルース、ジャズなどのギタリストがこぞって使い始めました。
このことから、ストラトがギブソン・レスポールと並ぶソリッドボディのエレキギターの代名詞になりました。
エフェクター
ジミ・ヘンドリックスはスタジオ録音に限らずステージでもエフェクターを多用していました。
音を波立たせるユニヴァイブや歪ませるファズ、音質を踏み加減で連続的に変化させるワウペダルなどを主に使っていました。
電子エンジニアのロジャー・メイヤーがアドバイザーだったこともあり、シンプルなセットでも設計者が驚くほど斬新なサウンドを引き出しています。
ロジャー・メイヤーで有名なエフェクターであるオクタヴィアは、ジミのシングル「パープル・ヘイズ」のソロで使われ、有名になりました。
またこの曲中では「E7(#9)」というコードが使われました。
元々ブルースやジャズでよく使われたコードでしたが、ジミの演奏で「サイケデリックな響き」のコードとして広まり、日本では「ジミヘンコード」とも呼ばれています。
プレイスタイル
ジミ・ヘンドリックスを表すキーワードといえば、「左手での演奏」と「パフォーマンス」です。
まず「左手での演奏」について。
右利き用の楽器の弦を左利きの順番に張り替え、左右逆にして左手で弾いていました。
コントロールノブが上になるため、演奏中には左手でノブを操作し音質を自在に変化させることができました。
一方でナットやサドルの位置は右利き用のままでした。
声域に合わせることと、チョーキング等の奏法に都合が良いことなどから半音下げるチューニングにすることが多かったようです。
晩年、左利き用のギブソン・フライングVを演奏してみたものの、コントロール部の位置が上ではないため思うように弾けずに譲ってしまいました。
ただ、ジミ自身が完全に左利きだったかというとそうでもなかったようです。
本人への取材記事には「左利き」とありますが、右利き用の構えや弦の張り方でも弾けた、文字は左右どちらの手でも書くことができたという記録もあり、利き手は変則的だったのかもしれません。
そして、型破りな「パフォーマンス」
作曲・編曲・レコーディング、演奏技術において非凡なのは言わずもがな。
ジミヘンといえば、激しいパフォーマンスでも人気でした。
ギターを歯で弾いたり、床に叩きつけて燃やすなどのアクションに加え、強いパーマをかけたヘアスタイルやミリタリー・ファッションなども注目を集めました。
彼の影響を受けてそっくりな演奏をするギタリスト、「ヘンドリックス・フォロワー」も存在します。
「ワイルドマン」と言われるほどアグレッシブなステージ上のスタイルの反面、普段のジミ本人はとても礼儀正しく、シャイな人物だったと伝わっています。
ニューヨークのホテルで他の客にボーイと間違われ、荷物を運んであげたというエピソードはとても微笑ましいですよね。
代表作品
Are You Experienced(1967年)
デビュー・アルバム。
Hey JoeやPurple Haze、インディアン居留地での体験をもとに作られたという「I Don’t Live Today」などが収録されています。
AXIS: BOLD AS LOVE(1967年)
デビュー作よりもメロディアスな楽曲が増えたと評価される作品。
チャス・チャンドラーのプロデュースで5月と10月にレコーディングされました。
ELECTRIC LADYLAND(1968年)
「ウォッチタワー(見張塔からずっと)」はボブ・ディラン『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のカバーです。
本作でのアレンジを聞いたボブ・ディラン自身が感銘を受けて「権利の半分くらいはヘンドリックスのもの」と語り、ジミのバージョンに近い演奏をしたことがあります。
イギリス・アメリカで別々だったジャケット写真ですが、イギリス盤のジャケットはジミが嫌っていたため、1997年以降はアメリカ盤のジャケットで流通することになりました。
BAND OF GYPSYS(1970年)
1969年結成のバンド『バンド・オブ・ジプシーズ』演奏のライヴ・アルバムです。
1969年12月31日から1970年1月1日、1日2回4公演行ったうちの1月1日の演奏の一部が収録されました。
ほぼジャムセッションに近いライブ演奏で、圧倒的な爆発力のあるサウンドを聞くことができます。
このアルバムをジミヘンのベストアルバムという人もいるほどの作品。
ジミ・ヘンドリックス生前最後のアルバムとなりました。