ジョージ・ハリスン(George Harrison)まとめ!経歴・使用楽器など
Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/infinity-web/gitafan.com/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524
1960年代のロックバンドとして、誰もが知っているThe Beatles(ザ・ビートルズ)
最年少だったジョージ・ハリスンは、最初は目立たずに「静かなるビートル」とも言われていましたが、徐々にその才能を開花、後期になると「サムシング」や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」といった数々の名曲を作り出しました。
そんな彼が最初に手にした「楽器」はなんと「洗濯板」だったとか……
いったいどんな人物だったのでしょうか?
経歴
ジョージ・ハリスン(George Harrison)は1943年2月25日イギリスのリバプール郊外で生まれました。
4人兄弟の末っ子で、「ジョージ」は時の国王ジョージ6世にあやかったもの。
同級生に「隅っこで独り座っているような」と言われれおり、幼少のころから物静かな人物だったようです。
そんな彼もロックンロールに夢中になり、バンドを組もうとします。
兄がすでにギターを持っていたために最初は洗濯板をかき鳴らしていましたが、本当にギターを演奏したいという思いで13歳の時に中古ギターを手に入れました。
1950年中ごろにポール・マッカートニーと出会い、ジョン・レノンらのバンドでビートルズの前身「クオリーメン」に加入。
ただし、この頃はいつもギターに触っていたくて、それまでいたバンドも辞めずに掛け持ちしていました。
長時間の演奏、時には夜通しということもあったようですが、気にもしていなかったそう。
The Beatles – Revolution
ビートルズとしてのデビューはジョージ・ハリスンが19歳の頃でした。
主にリードギター、コーラス、ボーカルを担当しました。
当初は目立ちませんでしたが、徐々に自作曲のレベルを上げていきます。
またメロディメーカーの二枚看板「レノン=マッカートニー」との違いを打ち出す意識もあってか、中期にはインド楽器の「シタール」、後期には登場したばかりのシンセサイザーをいち早く楽曲に取り入れました。
尊大さがなく誠実で、人当たりの良い性格でビートルズ以外のミュージシャンとも親交がありました。
自作曲である「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギターソロにエリック・クラプトン、キーボード・プレイヤーにビリー・プレストン、といった人物が参加しているなど、数々の有名なミュージシャンとの交流が知られています。
一方で、グループ内部ではあまり評価が高いとは言えず、早いうちからソロ活動を視野に入れ始めたようです。
これがビートルズ解散のきっかけの一つともなりました。
解散以後、特に1970年代前半のソロ活動はかなり充実していたようです。
「ビートルズを解散して最も得をした」と評されているほど、音楽活動の展開は活発でした。
ビートルズ時代から書き溜めていた作品をまとめた初のソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』は、当時としては異例のLP3枚組で発売されましたが、アメリカ・イギリスそれぞれのアルバムチャートで7週連続1位となる大ヒット。
さらにシングル「マイ・スウィート・ロード」もアメリカで4週、イギリスで5週連続No.1を記録しました。
完成度も高く、今でも画期的なロック・アルバムとして評価されています。
1971年8月には「バングラデシュ難民救済コンサート」に参加。
これはシタールの師であるラヴィ・シャンカルの呼びかけに応えてジョージ・ハリスンが主催したもので、エリック・クラプトンやボブ・ディランなどが参加しました。
George Harrison & Eric Clapton – While My Guitar Gently Weeps
1970年代後半から、自伝を出版したり映画プロデューサーとして活動したりするうちに、音楽活動からは一旦遠のきます。
再び本格的に音楽を始めるのは1980年代後半、映画『上海サプライズ』に楽曲の提供と出演をしたことからでした。
1991年、日本でエリック・クラプトンとのジョイント・ツアーを開催。
1993年には「ビートルズ・アンソロジー」のプロジェクトが決定し、マッカートニーやスターと共同で作業を始めます。
ジョン・レノンの遺したデモ音源から正式なビートルズの新曲として「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」を発表しました。
1999年頃にはソロ・アルバムのリマスター作業も開始しました。
しかし、その矢先に肺がんや脳腫瘍を患い、フランスで療養生活を送ることになりました。
2001年11月29日、死去。58歳でした。
亡くなった1年後、生前完成予定だった新作が『ブレインウォッシュド』のタイトルで発売。
またソロアーティストとして、2004年にロックの殿堂入り、2009年にハリウッドの殿堂入りをしています。
楽器とプレイスタイル
楽器
ビートルズのトレードマークとして有名なのはやはりリッケンバッカー360/12。
ジョージ・ハリスンが使用した当時は、ギブソンやフェンダーのような大手メーカー以上の人気ぶりでした。
それ以外にも、グレッチの6122カントリー・ジェントルマンも頻繁に使われています。
エピフォン・カジノ、フェンダー・ストラトキャスターなどの様々な楽器を使っていたようです。
アコースティックギター、シタールやシンセサイザーなども演奏しています。
プレイスタイル
技術的には特に巧みというわけではありません。
しかし、作曲家としては高い能力がありました。
ビートルズ後期に作られたジョージ・ハリスン作の楽曲では印象的なフレーズを聞くことができます。
代表作品
All Things Must Pass(1970年)
ビートルズ解散後に発表した、初めてのソロアルバム。
ジョージとフィル・スペクターによるプロデュースで、レコーディングには元ビートルズのリンゴ・スター、エリック・クラプトンを中心としたデレク・アンド・ザ・ドミノス全メンバー、デイヴ・メイスン、ビリー・プレストンなど、交友があった多くのミュージシャンが参加しています。
ソングライターとしての実力を見せつける最高傑作にして、70年代の始まりを飾るロックの金字塔です。