スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)まとめ!経歴・使用楽器・代表作品など
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ロック主流の時代の中で、ストレートなブルース・ロックでエレクトリック・ブルースの頂点をなしたのがスティーヴィー・レイ・ヴォーンです。
音楽のみならず、アグレッシブに弾きす倒す姿も後のミュージシャンに大きな影響を与えました。
麻薬中毒やアルコール中毒を克服し、まさに絶頂というときの突然の事故によって命を落とした「伝説の」ギタリストを紹介します。
経歴
スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)は1954年10月3日、アメリカのテキサス州ダラスに生まれました。
7、8歳ごろから3歳年上の兄、ジミー・ヴォーンの影響でギターを弾き始めました。
13歳の頃、テキサス・ストームに加入、ベースを担当。
1971年、高校を中退してミュージシャンを志し、翌年春にはオースティンへ移住。
同年夏、バンド「クラッカージャック」に加入、1年で脱退。
後、バンド「ポール・レイ・アンド・ザ・コブラス」(1970年代にシングルを3枚発表)や「ナイトクロウラーズ」「トリプル・スレット・レヴュー」(1975年~)を経験。
1978年、トリプル・スレット・レヴューのバートン(ボーカル)が脱退、残ったメンバーで「ダブル・トラブル」として活動することになりました。
このときからスティーヴィーがボーカルを兼任、以降はメンバーチェンジを経ながら、地元のライブで人気を獲得していきました。
Stevie Ray Vaughan & Double Trouble – Love Struck Baby (Live at Montreux 1982)
「スティーヴィー・レイ・ヴォーン」という名前が広く知れ渡ったきっかけは、1982年の「モントルー・ジャズ・フェスティバル」への出演です。
彼の演奏を見ていたデヴィット・ボウイやジャクソン・ブラウンが声をかけました。
デヴィッド・ボウイのアルバム『Let’s Dance』に参加したときのプレイが話題となり、1983年に初アルバム『Texas Flood』を「スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル」名義で発表。
さらにシングル「プライド・アンド・ジョイ」、次いでアルバム2作目『Couldn’t Stand the Weather』も発表、いずれも高評価を得ています。
特に1984年にはグラミー賞にノミネートされるなど、一気に人気が上昇しました。
ブルースシーンにとっては「ブルース・ヒーロー」と言われるようになるほどの衝撃でした。
Stevie Ray Vaughan & Double Trouble – Cold Shot
ところが、名声の影で薬物中毒やアルコール中毒を患い、1986年から入院治療することになりました。
1989年、アルバム『In Step』で音楽界へ復帰。
ジェフ・ベックとの全米ツアーや兄でギタリストのジミー・ヴォーンと「ヴォーン・ブラザーズ」結成するなど、精力的に活動します。
1990年8月26日、乗り込んだヘリコプターが墜落、スティーヴィーを含む乗客全員が死亡しました。
ブルース・フェスティバルでエリック・クラプトンやバディ・ガイ、ロバート・クレイ、ジミー・ヴォーンらと共演した直後でした。
享年35才。
” STEVIE RAY VAUGHAN ” VOODOO CHILE….YOU HAVE TO SEE IT ……THE BEST……
没後に「ヴォーン・ブラザーズ」名義の「Family Style」(1990)「The Sky is Crying」(1991)が発表されました。
また、テキサス州が10月3日を「スティーヴィー・レイ・ヴォーン・デイ」と制定。
この日にはチャリティー・コンサートが行われ、収益金を音楽を学ぶ者の支援金にするなど、スティーヴィー・レイ・ヴォーンは現在でも音楽界への大きな影響力を持つ一人です。
楽器とプレイスタイル
Stevie Ray Vaughan – Full Concert – 09/21/85 – Capitol Theatre (OFFICIAL)
ギター
最も有名なのは「ナンバー・ワン」の愛称で呼ばれたフェンダー・ストラトキャスターです。
オースティンのレイズ・ミュージック・エクスチェンジの壁に飾られていた中古楽器ですが、それまで使っていた黒のストラトキャスターを修理に出そうと訪ねた際に一目惚れし、これと交換に手に入れました。
その後、トレモロユニットは左利き用のものに交換、他のパーツも損傷などにより交換しています。
シグネイチャーモデルのピックガードには、スティーヴィーの楽器と同じ書体の“SRV”のロゴが刻まれています。
アンプ
活動前半は主にフェンダー社のヴァイブロヴァーブやスーパーリヴァーブを使用していました。
レコーディングでは、スタジオにあったギターアンプの他、フェンダー・ツイード・ベースマンやジャクソン・ブラウンが所有したハワード・アレキサンダー・ダンブル制作のSteel-String-Singer(通称マザー・ダンブル)なども使っていました。
活動後半は主にステーヴィーがKing Tone Consoulと呼んだハワード・アレキサンダー・ダンブル制作のSteel-String-Singerを使用しました。
エフェクター
Stevie Ray Vaughan & Double Trouble – Little Wing
定番はVOX社のワウ、アイバニーズ・チューブスクリーマー(TS-808、TS-9、TS-10)、Dallas Arbiter社のFuzz Face、Tycobrahe社のOctaviaなど。
「In Step」収録時に使用したFuzz Faceは改造を施したもので、現在はジョン・メイヤーが所有しています。
出番は少ないですが、フランジャーやコーラスもたまに使用しています。
プレイスタイル
スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターといえば、太い弦。
.013から始まる太い弦を張っていたため、強いテンションがかかってネックが大きく反っており、弦高も非常に高いものでした。
この楽器を持ったことがある人には「並みの握力では弦を押さえる事も出来ない」「とても弾けた物じゃない」と言われるほどの極端な状態でした。
また、彼はティアドロップ形のピックを使用し、尖った部分ではなく丸い部分で弾いていました。
これらによって彼特有のパワフルなサウンドを作り出しています。
代表作品
Texas Flood(1983年)
スティーヴィー・レイ・ヴォーンのキャリアを築く基礎となったファーストアルバム。
一聴して彼らしさがわかるパワフルで、魂のこもった名盤です。
Couldn’t Stand the Weather(1984年)
2ndアルバム。
「VooDoo Chile」ではアルバム一番の山場と言える圧巻の演奏を聴かせてくれます。
弦が切れそうなほどの「テキサスハリケーン」らしい演奏が堪能できる傑作です。
Soul to Soul(1985年)
ジャズ、ソウル色がこれまでよりも強いアルバム。
「Say What!」ではVOXのワウ・ペダルを2つガムテープで固定して使うという、それまで誰もしなかったエフェクターの使い方をしています。
Live Alive(1986年)
ライブアルバムの名盤。
スティーヴィーのギターの生々しい音や、ベースやドラムとの息の合った演奏には圧倒されます。
是非大音量で聞いてみて。
In Step(1989年)
こだわりのCDジャケットで最高で最後のアルバム。
最後の1曲は13分間に及ぶライブ音源です。