天才ギタリスト、ジミー・ペイジまとめ!経歴、必聴曲、使用ギター、奏法の特徴を紹介
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三大ギタリスト(エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ)の一人、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)はレッド・ツェッペリンのギタリストとして世界的に有名です。
今回は天才ギターリフ・メイカーのジミー・ペイジにスポットを当てて、ジミー・ペイジの経歴、必聴曲、使用ギター、奏法の特徴などをご紹介します。
ジミー・ペイジの経歴
生い立ち
1944年1月9日生まれ、イギリス出身。
10代になるとギターを始める。通っていたアートスクールなどで、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ジェフ・ベックらと知り合う。
セッションギタリスト時代
1963年頃からセッションギタリストとしての活動を開始します。
数多くのヒットソングにギタリストとして参加。
ジミー・ペイジのセッションワークの中でも有名なTalismenの「Casting My Spell」
ヤードバーズ(The Yardbirds)
ヤードバーズ時代のジミー・ペイジ
ヤードバーズのギタリスト、エリック・クラプトンの後任としてジェフ・ベックを推薦。その後ヤードバーズのベーシストが脱退したため、始めはベーシストとしてヤードバーズに加入します。
その後ベースからギターに転向。ジェフ・ベックとジミー・ペイジのツインギターが実現。
しかしジェフ・ベックがヤードバーズから脱退。1968年には、メンバー同士の音楽性の違いや不仲からヤードバーズは解散状態になりました。
ニュー・ヤードバーズ(New Yardbirds)
解散状態に陥ったヤードバーズを立て直そうと、ジミー・ペイジは新メンバーを探します。
様々なミュージシャンにアプローチしますが、セッション仲間だったベースのジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones)、地道な活動を続けていたボーカルのロバート・プラント(Robert Plant)、ロバート・プラント推薦ドラマーのジョン・ボーナム(John Bonham)がメンバーとして決定。
ヤードバーズには、すでにオリジナルメンバーがいないため「ニュー・ヤードバーズ」と名乗り活動を開始します。
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)
自身のバンド名を入れた旅客機の前でポーズを取るレッド・ツェッペリン
契約上の問題や、オリジナルメンバーが一人もいないこともあり、ニュー・ヤードバーズから「レッド・ツェッペリン」へと改名します。
破格の金額でレコード契約し、アルバムデビュー。ライブツアーが爆発的な話題を呼び、その後発売された多くのアルバムはメガヒット。ライブの観客動員もトップ。
のちに1960年代はビートルズ、1970年代はレッド・ツェッペリンとも言われ、時代を代表するスーパースターになりました。
しかし1980年、ドラマーのジョン・ボーナムの死により同年バンドは解散を表明。彼なしでのバンド継続は不可能、との判断でした。
ザ・ファーム(The Firm)
ザ・ファーム時代のジミー・ペイジ
レッド・ツェッペリン解散後は、映画のサウンドトラック制作やチャリティーコンサート出演などをおこなっていました。
そのチャリティーコンサートでの共演をきっかけに、元フリー(Free)、元バッド・カンパニー(Bad Company)のボーカル ポール・ロジャース(Paul Rodgers)と共に「ザ・ファーム」を結成します。
良質なブリティッシュサウンドで、ライブも好評。アルバムもヒットしました。
ジミー・ペイジの新バンドということで世界的な注目を集めましたが、2枚のアルバムを残して解散しました。
カヴァーデイル・ペイジ(Coverdale-Page)
デイヴィッド・カヴァデールと肩を組むジミー・ペイジ
ザ・ファーム解散後、1885年のチャリティーライブ「LIVE AID」でレッド・ツェッペリンのメンバーであるロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズと共にツェッペリンナンバーを演奏し、世界的な話題に。
自身のソロアルバムリリースを経て、1993年に元ディープ・パープル(Deep Purple)のボーカルであり、ホワイトスネイク(Whitesnake)で世界的な大成功を収めたデイヴィッド・カヴァデール(David Coverdale)と共に「カヴァーデイル・ペイジ」を結成します。
アルバムはミリオンセラーを記録しますが、アルバム1枚と数回のライブであっけなく解散しました。
ジミー・ペイジ & ロバート・プラント(Jimmy Page & Robert Plant)
再びタッグを組んだジミー・ペイジとロバート・プラント
カヴァーデイル・ペイジ解散後の1994年、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントとタッグを組み「ジミー・ペイジ & ロバート・プラント」を結成。
ツアーもおこない、その後1998年に発表されたアルバム「Walking into Clarksdale」はグラミー賞を受賞するも、現在は休止状態。
レッド・ツェッペリン再結成
2000年代に入るとジミー・ペイジは、レッド・ツェッペリンDVDの製作に関わったり、ブラック・クロウズのライブでツェッペリンナンバーを演奏しライブアルバムをリリース。
そして2007年、アトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガンを追悼するチャリティーライブとして、一夜限りでレッド・ツェッペリンを再結成します。(ドラムにはジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナムが担当)
約2万枚のチケットに対し全世界から約2500万人もの予約が入り、チャリティーオークションに出品されたチケットには数千万円の値が付き、実際にその値段で購入者がいたという、尋常ではないプレミアムチケットになりました。
当日の会場には、ビートルズのポール・マッカトニーや、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーなど、著名ミュージシャンや著名人も客席に。
この約2時間のライブパフォーマンスは、のちにDVDとCDで発売。
近年の活動
2008年の北京オリンピックで、歌手のレオナ・ルイスと共にツェッペリンの曲を演奏。
また同年にはU2のジ・エッジ、ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトと共に、対談やセッション風景などを撮影した映画「ゲット・ラウド(It Might Get Loud)」に出演。(日本公開は2011年)
2015年現在71歳。
レッド・ツェッペリンのアルバム & 必聴曲
ジミー・ペイジと言えばレッド・ツェッペリン。ここではレッド・ツェッペリンのアルバムと必聴曲をご紹介します。ツェッペリンのアルバムは、すべてジミー・ペイジがプロデュースしています。
レッド・ツェッペリンⅠ(Led Zeppelin Ⅰ)
レッド・ツェッペリンのデビューアルバム。1969年1月12日発売。販売枚数は800万枚。
収録曲「幻惑されて(Dazed and Confused)」は、ライブでの30分近くにも達する演奏時間や、ヴァイオリンの弓を使ったりなど、壮絶な曲。
レッド・ツェッペリンⅡ(Led Zeppelin Ⅱ)
ファースト・アルバムから間髪をいれずに発売した2ndアルバム。1969年10月22日発売。販売枚数は1,300万枚。
Whole Lotta Love、Heartbreaker、Moby Dick他、勢いにあふれたアルバム。
アルバム1曲目を飾る「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」
レッド・ツェッペリンⅢ(Led Zeppelin Ⅲ)
3rdアルバム。1970年10月5日発売。販売枚数は650万枚。
1stと2ndアルバムで確立したハードロックサウンドから一転、アコースティックサウンドを追求し当時賛否両論に。
ライブの定番曲「貴方を愛しつづけて(Since I’ve Been Loving You)」
レッド・ツェッペリンⅣ(Led Zeppelin Ⅳ)
4枚目のアルバム。1971年11月8日発売。販売枚数は2,320万枚。
レッド・ツェッペリン IVというタイトルは便宜的なもので、このアルバムには正式なタイトルはありません。ジャケットにはアルバムタイトルどころかグループ名、レコード会社名の記載すらないにも関わらず大ヒット。歴史的な名盤に。
不朽の名曲「天国への階段(Stairway to Heaven)」
聖なる館(Houses of the Holy)
5枚目のアルバム。1973年3月28日発売。販売枚数は1,200万枚。
前作に引き続き、ジャケットに一切文字が記載されていないアルバム。名曲多数のアルバム。
ボンゾの力強いドラム、4/4拍子と7/8拍子が混在する「The Ocean」
フィジカル・グラフィティ(Physical Graffiti)
6枚目のアルバム。1975年2月24日発売。販売枚数は1,630万枚。
2枚組となったアルバムは、ジョンジーのクラヴィネット演奏が光る「Trampled Underfoot」など名曲多数の意欲的なアルバム。
ギターは3/4拍子、ドラムは4/4拍子の複合リズム、オープンチューニングのギターで演奏される不朽の名曲「カシミール(Kashmir)」
プレゼンス(Presence)
7枚目のアルバム。1976年3月31日発売。販売枚数は350万枚。
キーボードやその他楽器を排した、原点回帰とも言えるアルバム。
名曲「アキレス最後の戦い(Achilles Last Stand)」
イン・スルー・ジ・アウト・ドア(In Through the Out Door)
8枚目のアルバム。1979年8月15日発売。販売枚数は650万枚。
ボーカルのロバート・プラントの息子の急逝などを経て制作。ベースのジョン・ポール・ジョーンズのシンセサイザーがフューチャーされたアルバム。
美しい名曲「All My Love」
最終楽章 (コーダ)(Coda)
9枚目のアルバム。1982年11月19日発売。販売枚数は150万枚。レッド・ツェッペリンのラスト・アルバム。
1980年に急逝したドラムのジョン・ボーナムが亡くなった後、さまざまな年代のアウトテイクを集めてアルバムに。
ジミー・ペイジ使用ギター
ギブソン レスポール | Gibson Les Paul
ジミー・ペイジと言えばレスポール。レスポールと言えばジミー・ペイジ。1958年製や1959年製のレスポールスタンダードは、ジミー・ペイジのトレードマークに。
フェンダー テレキャスター | Fender Telecaster
初期はテレキャスターがメイン。ドラゴンペイントのテレキャスターがあまりにも有名。
ギブソン EDS-1275 | Gibson EDS-1275
ギブソンSGを元にした12弦と6弦のダブルネックギター。名曲「天国への階段」のライブ演奏などで使用。
ダンエレクトロ 3021 | Danelectro 3021
カシミールなど、オープンチューニングの曲などで使用。
フェンダー ストラトキャスター | Fender Stratocaster
ストラトキャスターはツェッペリン後期からソロキャリアで使用。
マーティン D28 | Martin D28
アコースティック曲も多いレッド・ツェッペリンでは、マーティンを使用。
奏法の特徴
ライブではレスポールを腰の位置まで低く下げて演奏しています。
また、ボトルネックを使用したスライドギター、ヴァイオリンの弓を使用した特殊奏法、オープンチューニングなどの変速チューニングなど、個性的な演奏スタイル。
そして、テルミンと呼ばれる特殊な楽器を使用したパフォーマンスもインパクト大。
ヴァイオリンの弓を使用したジミー・ペイジのソロ
テルミンの使い方と演奏を披露するジミー・ペイジ
まとめ
今なお、多くのギタリストに大きな影響を与え続けているジミー・ペイジ。
ジミー・ペイジと言えばモンスターバンド「レッド・ツェッペリン」ですが、その他のキャリアでも素晴らしい曲が数多くあります。ツェッペリンはもちろん、その他の作品もぜひ聞いてみてください。