ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia)まとめ!経歴、楽器・プレイスタイルなど
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日本ではあまり有名ではありませんが、アメリカ国内では伝説的なバンドとして名高く現在でも多くのファンがいる「グレイトフル・デッド」
外見のむさ苦しさからは思いもよらない、温かいメッセージを送り続けたバンドです。
そのリーダーを務めたギタリスト、ジェリー・ガルシアについてまとめました。
この記事の目次
経歴
ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia)は1942年8月1日 アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコに生まれました。
ギターを弾き始めたのは15歳頃、20歳になる1962年には初めてのバンドMother McCree’s Uptown Jug Championsを結成。
キーボードのロン<ピッグペン>マッカーナンやギターのボブ・ウィアーと始めたブルーグラス&フォークミュージックのバンドです。1965年にはドラムのビル・クロイツマン、ベースのフィル・レッシュを迎えバンド名をWarlocksに変更しました。
1967年、バンド名を更にグレイトフル・デッド(The Grateful Dead)と改めデビュー。
1980年代以降も根強い人気を誇り、1994年にはロックの殿堂入りを果たしました。
ジェリー・ガルシア自身の創作活動も幅広く、ソロ・アルバムもバンドと並行して5枚制作しています。
1995年8月9日、急逝。
享年53歳。
楽器とプレイスタイル
楽器
弦楽器制作者Doug Irwinによるオリジナル・エレキギター「Tiger」が最も有名です。
3ピックアップ仕様で、フロントにハム・サイズのシングルコイル、センターとリアにはハムバッカーを搭載しています。
他に、ギブソンのレスポールやSGなども使用していました。
プレイスタイル
Not Fade Away (Rich Stadium – Orchard Park, NY 7/4/89)
グレイトフル・デッドは作りこまれたアルバムよりも、即興のジャムの方が売りとなったバンドですが、リーダーであったガルシアは、一つの曲が完成するまでには三年は演奏する必要があるというスタンスでした。
バンドの活動の中心人物であり、精神的なよりどころでもありました。
バンド名もガルシアが「彷徨える魂を成仏させる旅人の寓話」の登場人物「感謝する死者(Grateful Dead)」にちなんでつけたものと言われています。
グレイトフル・デッド
Blow Away – Philadelphia 7/7/89
サイケデリック・ロックが巻き起こる中で結成し、代表的なアーティストへと成長しましたが、サイケデリック以外にもブルースやジャズ、フォーク、ロック、ブルーグラス、カントリーなどなど幅広く演奏するバンドでした。
自由や愛、平和といった温かいメッセージのある楽曲はロックの枠を超え、1960年代のヒッピー文化も相まって広くファンを獲得しました。
アメリカの反体制派などを象徴するグループともなりました。
特に熱狂的な追っかけは「デッドヘッズ」と呼ばれています。
即興演奏を得意とし、ヒットチャートとは無縁でしたが、コンサートツアーは毎年のように行われました。
長年の活動の中では、エジプトのピラミッド前で行ったこともあります。
乗ってくれば1曲を何十分と演奏し続けるため、公演時間が8時間という長さになったこともあるそう。
彼らのコンサートでは自由に録音することを許可していました。
録音者用スペースもあったため、高音質で残っているものも多数あります。
ファン同士で録音テープを交換することも許可しており、これがライブへの動員をさらに呼びました。
日本では骸骨や薔薇のようなサイケデリックなイメージが強く、グレイトフル・「デッド」(死)というバンド名もあってあまり有名にはなりませんでしたが、アメリカ本国においては音楽や精神性、メッセージ性に共感するファンは多く、サイケデリック文化が下火になった現在でもその人気は続いています。
30年以上の活動によって親子二代でのファンもできたほど。
1995年、リーダー・ガルシアの早逝によってバンド自体も活動停止を宣言。
メンバーはそれぞれソロでの活動を始めました。
のちに再集結して「アザー・ワンズ」を結成、現在では「ザ・デッド」という名でライブ活動を行っています。
代表作品
ザ・グレイトフル・デッド(1967年)
ジャムを得意とするバンドですが、このアルバムではカバーや作曲においても一流ということを証明しました。
Anthem Of The Sun(邦題:太陽の賛歌)(1968年)
ライブ音源をベースに、スタジオでレコーディングしたものを重ねるという方法で作られました。
マイルス・デイヴィスにも影響を与えたといわれます。
Aoxomoxoa(1969年)
初期のグレイトフル・デッドのアルバムとしては最高傑作と言われる名盤。
サイケデリックな色合いもジャケット・内容とも一番強いですが、70年代初期のカントリー調の曲もあるなど幅広さもあります。
「チャイナ・キャット・サンフラワー」「セント・ステファン」といった曲はその後のライブでは定番となりました。
Live/Dead(1969年)
ライブアルバム。7曲中6曲がそれまで未発表だったもので、長尺のものが多いです。
特に「ダーク・スター」のギターの即興演奏はまさに必聴。
グレイトフル・デッドが得意とするジャムの真骨頂がここにあります。名盤です。
Workingman’s Dead(1970年)
フォークやカントリー調で原点に回帰したようなアルバム。
「アンクル・ジョンズ・バンド」「ケイシー・ジョーンズ」他代表曲を収録。
賛否両論ありますが、初のゴールド・ディスクにもなったヒット作です。
American Beauty(1970年)
「Workingman’s Dead」からさらにカントリーロック調を強めた名盤。
主体は歌ですが、コーラスやメロディのサウンド、ジェリー・ガルシアの職人的な美しいアルペジオも絶妙です。
デッド独特の全体に漂う浮遊感も健在です。