エディ・ヘイゼル(Eddie Hazel)まとめ!経歴・プレイスタイル・代表作品など
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エディ・ヘイゼルは音楽集団「Pファンク」のプロジェクトの1つ「ファンカデリック」に所属していました。
1970年代前半にはボーカルや作曲も担当したギタリストです。
ファンクやブラックロックの創成に携わったミュージシャンをご紹介します!
経歴
エディ・ヘイゼル(Eddie Hazel)は1950年4月10日生まれ。
生まれはアメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリンですが、母が育児上での治安の悪さを気にし、すぐにニュージャージー州プレインフィールドに引っ越しました。
幼少期に兄からクリスマスプレゼントとしてギターを貰い、仕事はそのままブルックリンだった母が職場との行き来をする間、そのギターを弾いて過ごしていたそうです。
12歳の頃にギタリストでベーシストのビリー・ネルソンに出会い、一緒に演奏するようになりました。
17歳の時、その彼に誘われる形でジョージ・クリントン率いるザ・パーラメンツにギタリストとして参加。
1968年、レーベルを変えてファンカデリックのバンド名で活動開始しました。
Parliament Funkadelic live in 1979
ファンカデリックはPファンクの主要プロジェクトの1つで、もう一つのプロジェクトにパーラメントがありました。
メンバーが重複していますが、ジミ・ヘンドリックスの影響を受けたサウンドや、管楽器を使わない演奏という違いがあります。
エディはリードギターを担当し、ボーカルや作曲にも多くの曲で関わりました。
作曲については、印税が母に入るようという計らいで彼の母であるグレース・クック名義で発表しています。
6枚目のアルバム『Standing on the Verge of Getting It On』は収録曲全てがそんなエディの作曲で、ギターのハードな演奏が前面に出されています。
Funkadelic: One Nation Under A Groove, Part 1
彼らの演奏はファンクというジャンルに限らず、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどのロックバンドやヒップホップのスヌープ・ドッグなど他のジャンルのアーティストに今なお大きな影響を与えており、多数のミュージシャンにサンプリングされたりカバーされたりしています。
順調に作品を発表していましたが、1974年、エディは薬物不法所持と客室乗務員に対する暴行で1年の懲役を受けることに。
1975年に復帰した頃にはリードギターは他の人が担当しており、リーダーは務めていたもののエディのギターが大きく取り上げられることはほとんどなくなってしまいました。
一方でドラッグにはのめりこんでいったようです。
Funkadelic: One Nation Under A Groove, Part 2
1977年、生前の唯一のソロアルバムとなった『Game, Dames & Guitar Thangs』を発表。
1978年、ファンカデリック最大の成功作品『One Nation Under A Groove』が発表されると、以降は脱退状態となりました。
音楽シーンからも時々あるPファンク関連の仕事以外には遠のきます。
1992年12月23日、肝不全により42歳で死去。
楽器とプレイスタイル
ギター
主にフェンダー・ストラトキャスターを使用していました。
プレイスタイル
ファズ、フェイザー、テープエコーなどのエフェクターを多用し、伝統的な黒人音楽的なノリである「黒」くハードな、ジミ・ヘンドリックスにも似たサウンドが特徴です。
ファンカデリックは、エディの卓越した技術とセンスで成り立つこのギターサウンドをベースに、ロック好きにもファンク好きにも響くファンク・ブラックロックミュージックを展開しました。
代表作品
Maggot Brain(1971年)
邦題は『黒魔頭』
アルバムタイトルと同名の収録曲「Maggot Brain」には、母が死んだと思って弾け、というジョージ・クリントンの助言を受けて弾いた10分以上にわたるエディのギターソロは、その後のギタリストとしての彼の評価を高めることになりました。
Cosmic Slop(1973年)
5枚目の作品。
ボーカルのゲイリー・シャイダーをフィーチャーした妖艶さ漂うサイケデリック・ファンク。
One Nation Under a Groove(1978年)
ファンカデリック最大の成功作品。
これまではヘヴィなギターサウンドを中心にロック寄りの音楽展開でしたが、Pファンクのもう一方、パーラメントの宇宙観や空間表現をコンセプトにしたアルバムの成功を機に、シンセサイザーを中心とした洗練されたファンクへと移行しました。
このアルバム以降、ディスコ・サウンドを取り入れた楽曲が度々発表されています。
アルバムタイトルは力強い印象ですが、楽曲のメッセージ性は控えめ。
ギターも激しい主張は控えめですが、ギターリフは冴えています。
同タイトルのシングルは全米1位のヒットとなりました。
エディはこの作品以降、音楽シーンから遠ざかりました。