ロバート・フリップ(Robert Fripp)まとめ!経歴・プレイスタイル・代表曲など
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見かけは紳士、演奏するのはプログレッシブ・ロックやヘヴィメタ。
そしてあのビートルズをチャート1位から引きずり下ろしたと言われるバンド「キング・クリムゾン」を最初の結成以来40年以上主宰している人物。
時にバンド内部に亀裂を生むほど強烈なリーダーシップを発揮しつつも、音楽へも同様に厳格に取り組み、他のアーティストへも影響を与えてきた彼、ロバート・フリップについて特集します!
経歴
ロバート・フリップ(Robert Fripp)は1946年5月16日、イギリス ドーセット生まれ。
1967年にジャイルズ兄弟とジャイルズ・ジャイルズ&フリップを結成してアルバムを制作。
翌年、イアン・マクドナルドや幼少時に同じギター教室に通っていたグレッグ・レイクを加えたメンバーでキング・クリムゾンを結成しました。
本国イギリスでは「クリムソ」日本では「クリムゾン」などと呼ばれています。
1969年、アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』でデビューしました。
マルチプレイヤーのイアン・マクドナルドによるメロトロンやサックス、フルートの導入で独創的な音楽を想像しています。
King Crimson Live at the Warfield Theatre 1995
ところで、ロバート・フリップはキング・クリムゾンの主導権を握り続けている、グループの「主催者」です。
人事権も然りで、かつて脱退したメンバーの中でも作詞を担当したピート・シンフィールドなど実質的には解雇だった人もいるようです。
しかし、厳しいのは音楽への取り組み方も同様。
1970年代にはプログレッシブ・ロックを支えたと言っていいほどの影響力を持ち、彼のプレイも高く評価されていましたが、彼自身は「プログレッシブ・ロック」と呼ばれることを嫌い、さらなる変化を求め続けています。
以降メンバー入れ替えを重ね、時にロバート・フリップ自身が孤立し解散や再結成を交えつつも、それによって音楽性を大胆に変えながらヒット作を生み出しています。
King Crimson, ’21st Century Schizoid Man’ live in Hyde Park, 1969
個人では、デヴィッド・ボウイやブライアン・イーノなど様々なアーティストと共に活動しています。
74年のクリムゾン解散後、半引退状態だった彼を音楽活動に復帰させたのはこの二人でした。
自身が開発した「フリッパートロニクス」や「サウンドスケイプ」と呼ばれる機材のライブ音源などを収録したソロ・ワークなども発表しています。
Microsoft Windows Vistaの起動音の制作も手掛けました。
楽器とプレイスタイル
ギター
ギブソンやフェルナンデス、トーカイなどのレスポール・タイプギターを使用しています。
80年代にはGRギターシンセサイザーも使っていました。
他にもレコーディングではストラトキャスターにするなど、使い分けをしています。
アンプ
1984年のキング・クリムゾンのアルバム『 スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』の時期にはローランド社のトランジスタアンプJC-120、デジタルアンプが普及してくるとJOHNSON社のデジタル・ギターアンプを使用していました。
1980年代は、レコーディング時にエレキギターの音をより豊かにするため、あらかじめ録音したギタートラックをJC-120で再生し、さらにその音を再生するという方法を用いていました。
プレイスタイル
常に椅子に座ってプレイすることが有名です。
リードギターとしては控えめ、バッキングとしては強烈なパッセージ、機械的な正確さで弾きこなす複雑なリックなどシーケンサーのようなプレイが持ち味。
常に変則チューニングを用いています。
これはギターを始めたころに近所の人に下手だと言われたのがきっかけだとか。
フリップ自身は後に開催した講座で「ギタークラフト・チューニング」と呼んでいたこともありました。
ライブでのインプロヴィゼーションでも知られ、これらの展開の読めない彼の様々なアプローチは「フリップトーン」と呼ばれています。
代表作品
クリムゾン・キングの宮殿(1969年)
ディストピア的な未来を暗示したような「21世紀のスキッツォイド・マン」はロックとジャズを融合させたアルバム1曲目。
プログレのみならず様々なジャンルの音楽ファンやアーティストに影響を与えました。
一部チャートでビートルズ『アビイ・ロード』を1位から蹴落としたといわれるアルバムです。
クラシックやジャズ、ヘヴィメタ、フォークなどの要素を取り入れ、その後のプログレッシブ・ロックの幕開けとなった作品。
リザード(1970年)
イエスのジョン・アンダーソンがゲスト参加したほか、フリー・ジャズ・ピアニストのキース・ティペット、クラシック界からオーボエとコーラングレ奏者のロビン・ミラーが参加しました。
前作発表後、解散状態だったキング・クリムゾンはこれ以降しばらくメンバーチェンジを繰り返します。
3枚目のアルバムです。
Island(1971年)
4枚目のアルバム。
ピート・シンフィールドの歌詞は古代ギリシアの長編叙事詩『オデュッセイア』に影響を受けたもので、アルバムも静寂な美しいものとなっています。
女性オペラ歌手のポーリナ・ルーカスなどが参加しました。
ジャズファンにもお薦め。
レッド(1974年)
ニルヴァーナのカート・コバーンがもっとも影響を受けたアルバムの1枚に挙げる、キング・クリムゾン8枚目のアルバム。
ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォードの3人が中心となった時期の最終作です。