ジョン・フルシアンテ(John Frusciante)まとめ!経歴・使用ギター・プレイスタイルなど
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ジョン・メイヤー、デレク・トラックスとともに「現代の三大ギタリスト」との一人とされている、ジョン・フルシアンテ。
無関心なことには淡泊。興味を持ったことには一直線で、語れば饒舌な芸術家です。
「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」には15歳からのめり込み、ギター・ベース・歌詞をすべて暗記したほどで、18歳にはそのチリ・ペッパーズに加入した彼ですが、後に麻薬中毒、果てはホームレスまで経験し、大切なギターを売り払ってしまったという波乱万丈な経歴を辿ってきました。
紆余曲折を経てグループを脱退した現在でも、ミュージシャンとして精力的に活動しているジョン・フルシアンテについてまとめました!
経歴
1970年3月5日、アメリカのニューヨーク州で、ミュージシャンの両親のもとに生まれました。
母のゲイルはレッド・ホット・チリ・ペッパーズ「アンダー・ザ・ブリッジ」(1991年)で歌声を披露しています。
15歳でライブを見て以来、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの虜になり、ギター・ベース・歌詞をすべて暗記。
元来練習の虫だったこともあり、高度な技術も得意でした。
18歳の時、亡くなったギタリストのヒレル・スロヴァクの代役として、憧れだったチリ・ペッパーズに加入します。
『母乳』『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の2作品の制作に参加しました。
はじめは代役的なポジションだったためにオリジナリティもそれほど見せていませんでしたが、2作目になると音楽的なバックグラウンドをもとに様々なプレイを見せるようになりました。
Red Hot Chili Peppers – Give It Away [Official Music Video]
しかし、1992年の来日公演の最中に突然最初の脱退。
公演をすべてキャンセルして一人帰国、隠れるように生活しうつ病とヘロイン中毒、さらにはホームレスになるなど苦しみました。
メインギターだったストラトキャスターも生活と麻薬入手のために売り払ってしまいました。
Red Hot Chili Peppers – Scar Tissue [Official Music Video]
1999年、薬物と病を克服し、チリ・ペッパーズに復帰。
『カリフォルニケイション』『バイ・ザ・ウェイ』など多くの作品でバンドの中核を担って活躍しました。
最初こそブランクからかあまりテクニック重視のプレイはありませんでしたが、次第に独自の音色を聞かせるようになります。
2004年以降はグループ以外にソロでの活動を開始。
ギタリストとしても評価が高く、彼のサウンドは「枯れたギター」と呼ばれるようになりました。
ジョン・メイヤー、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト」に選ばれたのは2007年のことです。
Red Hot Chili Peppers – Californication [Official Music Video]
2009年12月16日、ソロで自分の音楽を追求したいと、円満にレッド・ホット・チリ・ペッパーズを脱退。
現在ではソロのミュージシャンとして活動しています。
楽器とプレイスタイル
ギター
2011年以降のメインギターはヤマハ・SG2000。
それまでメインに使っていたのはストラトキャスターでした。
多数のストラトキャスターを所持していますが、62年製のスリートーンサンバースト、55年生のツートーンサンバースト、62年生のフェスタレッドを気に入っているそうです。
また、一番長く所持しているのはフェンダーのジャガー、ステージではグレッチの55年製ホワイトファルコンなども使用します。
エフェクター
ブラッド・シュガー・セックス・マジックの頃には、歪み系とワウをメインにしていました。
ソロ活動になって以降の2011年頃には、フランジャーやファズ、ディレイ、ワウなどかなり多くのエフェクターを駆使しています。
サウンドも幅があります。
プレイスタイル
元来技巧派で、テクニカルなプレイを得意としています。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズへは初代ギタリストのヒレル・スロヴァクが亡くなった代役として加入したため、最初のうちはオリジナリティはあまり見せず、ヒレルのプレイを踏襲し、ハードロックスタイルでした。
『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の頃になると、彼自身の音楽的なバックグラウンドをもとにした様々なプレイを披露しています。特にジミ・ヘンドリックの影響は色濃く見られます。
Red Hot Chili Peppers – Dani California [Official Music Video]
ドラッグと病によるブランクを経て、復帰した後の『カリフォルニケイション』からは、哀愁を帯びた「枯れたギター」と言われる独特なサウンドを聞かせるようになりました。
反面、テクニカルなプレイはあまり見せない、シンプルなプレイをするようになっています。
ソロではエフェクターを使用したり、さらに幅広いプレイを試したりと、実験的なソロやアルバムの楽曲を制作。
再度チリ・ペッパーズを脱退して以降は、以前の技巧的なプレイも復活しています。
エフェクターも積極的に使用し、さらに幅広いサウンドを響かせています。
代表作品
シャドウズ・コライド・ウィズ・ピープル(2004年)
ソロ初のスタジオ録音アルバム。
それまでのソロアルバムはリズムマシーンなどの機器を使って1人で録音していましたが、今作では様々なアーティストも参加しました。
ギターはもちろん、オルガンやコーラスもイイ。
ザ・ウィル・トゥ・デス(2004年)
意識的に1/2テイクで録音、その場でミックスするという、レコーディングのスピードを重視した作品。
2004年にかけての6連作最初のアルバム。
ディーシー・イーピー(2004年)
6連作の3枚目。
意図的に「チープ」な録音環境で作られたアルバム。
レコーディングからミックスを合わせてたった2日間で行われました。
フガジのイアン・マッケイがプロデュース、ドラムはフガジ他いくつかのバンドのサポートで、機材もジョンのものは使わずフガジの機材を借りての演奏です。
インサイド・オブ・エンプティネス(2004年)
6連作の4枚目。
ジョン自身が「一番気に入っている」というアルバムです。
50・60年代のガレージロック風で、こちらも録音環境はインディー的で、チープさがあります。
カーテンズ(2005年)
連作最後の作品です。
メロディーの際立つアコースティックアルバム。
The Empyrean(2009年)
日本先行発売だったアルバム。
これまでのレッチリ時代やソロでのアルバムのどの作品にも似た雰囲気のものがありません。
楽曲にはストーリー性を持たせているそうですが、ボーダーレス、ジャンルレスな作曲がとても魅力的。
ギター以外の楽器も多用しています。