ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)まとめ!経歴・プレイスタイルなど
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ブルース歌手として、伝説的な人物であるロバート・ジョンソン。
同時代のブルースシンガーのみならず、エリック・クラプトンやキース・リチャーズなど、ロックなどで後に現れることになるそうそうたる顔ぶれのギタリストが彼の影響を受けています。
……が、実はあまりよく知らないという人も多いのでは?
ブルースの草創期、アメリカ中で演奏したロバート・ジョンソンについてご紹介します。
経歴
ロバート・ジョンソン(Robert Leroy Johnson)は、1911年5月8日、アメリカのミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれました。
ジョンソンという姓は、母ジュリア・ドッズの浮気相手であるノア・ジョンソンの存在を知った10代の頃から名乗るようになったものです。
1929年にヴァージニア・トラヴィスと結婚しましたが、翌年の出産時に母子ともに亡くなりました。
(現在ヘイズルハースト近郊に住んでいるのは、後に生まれた息子の子)
以来、アコースティック・ギター1本で弾き語りをしながらアメリカ大陸中を渡り歩く生活を始めます。
巧みなテクニックに驚いた聴衆は、「十字路で悪魔に魂を売り渡し、引き換えにテクニックを身につけた」と噂しあいました。
これが「クロスロード伝説」として伝わっています。
家族を亡くした悲劇性や演奏テクニックのすばらしさに反して、実は酒癖と女癖が悪いのが欠点でした。
「アメリカ中を旅する」というと聞こえは良いですが、ギター片手に歌い、安酒場で誰彼となく女性に手を出し、相手の彼氏や夫ともめ事を起こして街を逃げ出し次の町へ、という生活が結果的に「アメリカ大陸中を渡り歩く」ということになったともいえます。
ともあれ、デルタ・ブルース(ミシシッピ川流域などで発生した初期のブルースミュージック)がシカゴやニューヨークなどの大都会へ広がるきっかけにもなりました。
彼は1936年11月に16曲、1937年6月に13曲と生涯に2度だけレコーディングをしています。
これもまた全米にブルースが広がった影響の一つです。
Robert Johnson – Robert Johnson’s Cross Road Blues
1938年、死去。
死因は不明ですが、「ダンスパーティーで知り合った人妻の夫に毒殺された」「人妻との関係を夫に見つかり、刺殺された」など女癖の悪さのためか様々にいわれています。
クロスロード伝説に絡めて「悪魔に命を奪われた」とも語られていますし、ジョンソンの妹によれば病死、死亡届では「No Doctor」
いずれもはっきりしていません。
享年27歳。
楽器とプレイスタイル
楽器
アコースティックギターを演奏していました。
ギブソンの「Gibson L-1」を構えた写真も残っていますが、実際に演奏したものかはわかりません。
プレイスタイル
ギター一本を使ってリズム、パーカッション(ボディを叩く)、リード全てを一人でこなし、同時に歌っていました。
こういった演奏スタイルは当時も今もほとんどおらず、卓越した技術の持ち主だったことがわかります。
多重録音などといったものがない時代ですから、レコーディングも全て一人で一発録音です。
演奏にはピアノ・ブギのスタイルを取り入れていました。
代表作品
Complete Recordings(1990年)
音の重なりが素晴らしいですが、これは曲芸的なテクニックではなく、あくまで音楽として聴かせるテクニック。
今日のスター達の音楽の原点であり、70年以上前の音楽として資料的にも重要な作品。
2011年にはリマスター版『The Centennial Collection』がリリースされました。
こちらはノイズは増えましたが、音質は向上しています。
また未収録の「Traveling Riverside Blues」の別バージョンが収録されています。