マイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield)まとめ!経歴・代表作品など
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マイク・ブルームフィールドといえば、エレクトリック・ブルースの先駆けです。
1965年、デビュー作『The Paul Butterfield Blues Band』で披露したエレクトリック・スタイルのブルースは、シカゴのブルース音楽そのものにとって大きな衝撃でした。
つらい日常を綴った歌詞をアコースティックで弾き語りする「黒人音楽」のブルースをがらりと変え、後に多くのミュージシャンがエレキギターを手にブルースを歌うようになったきっかけ、マイク・ブルームフィールドをご紹介します。
経歴
マイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield)は1943年7月28日、アメリカのイリノイ州シカゴ生まれです。
幼いころからB.B.キングやハウリン・ウルフ、マジック・サム、マディ・ウォーターズなどのブルースを聞いて育ちました。
成長してからはライブを見に行ったり、さらにはかつて聴いていたB.B.キングら偉大なブルースマンと頻繁にジャム演奏をしたりするうちに、自身の演奏の腕前も上げていきました。
1965年、バタフィールド・ブルース・バンドに加入。
マイク・ブルームフィールドはリードギタリストを務めました。
7月25日のニューポート・フォーク・フェステティバルで演奏、またボブ・ディランの『追憶のハイウェイ 61(Highway 61 Revisited)』のレコーディングにも参加。
アルバムは大ヒットしマイク・ブルームフィールドの名も一気に知れ渡りましたが、以降のボブ・ディランのサポートは辞退し、バタフィールドとしての活動に戻りました。
Michael Bloomfield – TRAILER FOR SWEET BLUES: A FILM ABOUT MIKE BLOOMFIELD
1967年、バタフィールド・ブルース・バンドを脱退、エレクトリック・フラッグを結成。
ブルースだけではない、幅広い音楽性を目指しており、アメリカン・ミュージック・バンドとも呼ばれました。
The Electric Flagは、ドラムにバディ・マイルス(ジミ。ヘンドリックスとの共演で有名)、作曲とボーカルにニック・グレイブナイツ(ジャニス・ジョップリンへの曲提供で有名)が在籍したスーパーバンドでした。
しかし、ファーストアルバム『A Long Time Comin』を制作後、マイクは脱退しました。
1968年になるとモビー・グレープのアルバムにセッション参加したのを皮切りに、いくつかのセッションに参加します。
9月にサンフランシスコで行ったライブを収録したアルバム『フィルモアの奇蹟』は、セッション・ブームを巻き起こしました。
しかし、精神的な疲労によってドラッグにはまり、70年代以降は目立つ活躍はなくなりました。
後にカルロス・サンタナらの説得でライブ復帰し、社会活動も始めましたが、麻薬を完全に断ち切ることができませんでした。
1981年2月15日、サンフランシスコの駐車場で意識不明のところを発見されましたが、その後亡くなりました。
ヘロインの過剰摂取と考えられています。
享年37歳。
楽器とプレイスタイル
楽器
ギブソンのレスポール・スタンダードを使っていました。
プレイスタイル
初期はシカゴ・ブルースをベースにしたプレイ。
次第にジャズやソウル、ゴスペルといったジャンルを取り入れていきました。
代表作品
The Paul Butterfield Blues Band(1965年)
バターフィールド・ブルース・バンドの傑作。
ホワイトブルースが広がるきっかけとなった作品です。
A Long Time Comin’/The Electric Flag(1968年)
ブルースやゴスペル、カントリー、ソウルなど多彩な音楽を取り込んで再構築したロックアルバム。
フィルモアの奇蹟/マイク・ブルームフィールド&アル・クーパー(1968年)
音楽史に大きな影響を与えたといえる1枚。
不眠症で途中リタイアしましたが、マイクはアル・クーパーと競演しています。